next | back | s379 | 水城 |
new I | new II | last update | 18/12/08 |
tasii | もどる | date visited | H30('18)12 |
next | back | 時代順 | 700年代? |
太宰府市、大野城市、春日市
水城も663年(天智2年)の「白村江の戦い」に破れた大和朝廷が、大宰府防衛のために
その翌年に築いた防御施設で、『日本書紀』に記載された、記録に残る「稲城」に続く最古の
城でもあります。正確には福岡平野からの外敵を防ぐために築かれた土塁(大堤)で、その
規模は全長1.2km、幅77m、高さ9mにわたる。また、基肄城の背振山系辺りまで小水城も
築かれたが、幸い唐・新羅軍の侵攻はなく後から見れば無駄に終わったと考えられるが、
いつ頃からが、機能しなくなったかは不明である。しかし、この防御施設は鎌倉時代後半の
元寇のときに役立っている。話はそれたが、大宰府の長官だった大伴旅人が天平2(730)年
平城京へ帰る折、水城迄の見送りがあり歌も残していること、天平神護元(765)年に対新羅
外交緊張から改修がおこなわれた記録等から、廃城は700年代とした。